緑のレクイエム エッセイのご紹介 児童文芸2017年10・11月号

児童文芸2017年10・11月号にエッセイが掲載されましたので、お知らせします。

児童文芸2017年10・11月号

ご注文はこちらから

【エッセイ 】子どもの心の闇にふれて⑤

緑のレクイエム

西川律子 にしかわ・りつこ 札幌在住。絵本・絵画制作。

アメリカ在住中ファインアートを学ぶ。各地で個展を開催。子どもの健康と平和を祈った『もうひとつの赤ずきんちゃん』(銀の鈴社)は、森の番人となったオオカ
ミが森を緑いっぱいにしていく、日本語と英語のバイリンガル絵本。

「さあ、行こうか?」
「ワン!ワン、ワン!」
ソーセージドッグのココアとシーズーのウイリー。尻尾をピンと立てた二匹のリードを手に、私はいつもの神宮の杜の公園へと向かいました。

大きな木々の間に続く小道を鳥たちの歌声を聞きながら進むと、白や薄紫のライラックの花、ピンクのアザレア、小さなデイジーが緑の中で可愛い色の点となって陽ざしを浴びていました。

明るく陽気なココアは行き会う人たちに大きく尻尾をふって「こんにちは」の挨拶を、気難しやのウイリーは私の横にピタリとついて「ごきげんよう」と歩いていました。

しばらく進むと幾つものベンチが並んでいます。そのひとつで、金髪の女性が男の子と話をしながら私たちを見つめていました。

近づくと「かわいいですねー。さわっていいですか?」
二人はオーストラリアから引っ越して来たばかりの親子でした。
男の子の表情はどことなく寂しげで沈んでいます。
「いいですよ、どうぞ……」

ココアは、男の子にまとわりついてペロ、ペロと甘えていました。その様子は、かつて異国で言葉も解らず不安げだった七歳の息子と重なって見えました。

彼女の名はセーラ。ご主人が日本人の彼女は英語の先生で、息子さんが日本の学校に馴染めず、友達が出来ないことなどを話してくれました。

私もかつて主人の研究のため、アメリカのサウスカロライナ州に住んでいました。慣れない生活のためホームシックになり、息子もクラスメートからのいじめに遭った想い出話をしました。そのうち私たちはすっかり打ち解けて、また会う約束をしました。

それからはセーラの作ったルールで、私は英語、彼女は日本語で話をするという妙な会話が始まり、しだいに友情が芽生えお互いの悩みまで話すようになりました。

ある日私は、私がボランティアをしている小児科病棟で、子どもたちと英話で楽しく遊んでほしいとセーラに頼みました。彼女は、「Of course! Okay.」と笑顔で快く引き受けてくれました。

そうして、私たちは小児科病棟プレイルームを訪れました。
穏やかで大柄な明るい外国人のセーラは、たちまち人気者になりました。

「One little, two little, three little Indians……」と、インディアンのマネをしながら輪になって歌いなが踊ったり、英語で絵本の読み聞かせをしたり……。

そして、プレイルームに来られない子どもたちの為に、ささやかな手作りのプレゼトを持って各病室を訪ねました。最後は隔離病棟の一室です。

入口は厳重に閉ざされ、マスクを着け消毒を済ませて、ようやく入室を許されるのです。

私は彼女に、奥の病室の少年は、だれも寄せ付けない、心も体も傷ついている重症患者であると話しました。

私たちは緊張し、静かにドアをノックします。
殺風景な部屋でした。ベッドとパソコンだけが置かれた机。
窓からは、遠くの山並みと建物、小さく行き交う人が見えました。

彼の頭には包帯が以前より何重にも厚く巻かれ、斜めに目の下にまでかかり、その顔は怒りと痛みに歪み、暗い悲しい瞳で外国人のセーラを見つめています。

「Hi, how are you? I am Sarah.」の優しい声に驚きながらも……。

彼は「Hi, hello.」と応えて英会話の挨拶が始まりました。

私は見守ることしかできず、入口のそばでじっと固まったまま立ちつくしていました。

「Do you like baseball ?」「Yes, I like.」

と二人だけの楽しげな英語の世界が続きます。

それから数分間の会話後。セーラのゆっくりとした柔らかな声が「See you again! Goodbye! と告げると、

「See you ! bye.」

と彼のか細い声が、広い個室に響きました。

小さな手作りのプレゼントもセーラから彼の手に。頑なに心を閉ざしていた少年がほんの一瞬、病室から夢の旅に出かけ楽しんでいるかのように見えました。

私と彼女は笑顔で病室の外へ……。互いに見つめ合い溢れる涙に押し寄せる悲しみを閉じ込めて、小児科病棟を後にしました。

そして、その日が彼を見たさいごとなりました……。
そう、私も少女期、病弱で病棟隅で絵本を読んでいました。こうして私は、生と死を見つめて辛い治療で苦しむ子どもたちに、大変だった外国での体験をもとに二ヶ国語で絵本を描きたくなったのです。病気と闘う子どもたちへの祈りをこめて……。

カット/西川律子

紙面のご紹介